200年少し前のガンバル星。 その日はまさに絶好の洗濯日和と言える快晴で、雲ひとつ無い真っ青な空の下、努力はいつものように洗濯物を乾していた。 勝利はでかいレースがあると言って隣町のそのまた隣にある町の競馬場に勝ちに行き、友情は昨日友達の家に行ったきり戻ってきていない。だから努力は二人の兄がいない間に、家の用事を済ませてしまうつもりだった。もうすでに家中を掃除し終え、後はこの洗濯物を乾すだけである。 タオルを手に取り、洗濯時についたしわをとるためにタオルの両端を持って引っ張ると、パンッと気持ちいい音が響く。努力はそうやって一つずつ丁寧にしわを取りながら、次々と洗濯物を竿にかけていっていた。 が、洗濯物を入れたかごがカラになった所でふとあることに気付く。 「あれ?兄さんのハチマキが無い」 努力はどこかに落ちていないか周囲を見渡したが、ハチマキらしきものは見当たらない。 「おかしいな、確かに洗ったはずなのに……あ、そうだ」 ハチマキがありそうな場所を思い出したらしく、努力は家の中に入ると真っ直ぐに洗濯機に向かい、その中を覗き込んだ。 「……あった!」 洗濯機の内側に細い布切れが張り付いているを見つけた努力は顔をほころばせ、その必勝と書かれた布切れを広げながら再び庭に出る。 「よかった見つかって。明後日に格闘大会があるから、うんときれいにしないと」 そう言いながら努力はしわを伸ばすべくハチマキの両端をつかみ引っ張る。大会がなくても兄の信条が書かれた大事なハチマキだ、しわ一つ無くきれいに仕上げたい。そう思うと自然と引っ張る手に力が入った。 だがそれが裏目に出てしまったらしい。 なんと努力がハチマキを勢いよく引っ張った次の瞬間、ハチマキは左端から15センチほどの部分から、2つに裂けてしまっていたのだ。 「…………」 すぐには何が起こったのか理解できず、努力は手の中にある2本の布切れをじっと見つめていたが、ほどなくして両目に大粒の涙を浮かべ始める。 「兄さんのハチマキが……」 どうしたらいいかまるで見当がつかず、ボタボタと涙をこぼしながら途方に暮れていたその時、何者かが努力の背後に近寄り、努力の名を呼んだ。 「どうしたんだ努力」 「友情兄さん……」 振り返ると、次兄の友情マンが心配そうな顔で立っていた。 「……これ……」 嗚咽をこらえながら手に持ったハチマキを友情に見せる努力。 「うわ、見事に破れてるな」 ハチマキを見た友情はそう言い、それを聞いた努力は更に涙の量を増加させた。 「あーっ。……お、落ち着け努力。別にお前を責めたわけじゃないって。だからそんなに泣くなよ、な」 友情は焦りながらもすぐ冷静さを取り戻し、しゃがんで努力の両肩に手をおき、その顔を覗き込んでなだめ始めた。 「別にそんな気にすることないって。兄さん最近、激しい戦いをいっぱいしてたし、元々もろくなってたんだよ。それに、兄さんのハチマキはそれ一本てわけじゃないし、大体今まで何本も駄目にしてきてるものだし。 これがそのハチマキの寿命だったのさ」 「……うん」 確かに長兄はここ最近激しい戦いを繰り広げてきた。おまけに昨日の相手はカマイタチマン。カマイタチマンのカマイタチ攻撃によって、ハチマキに切れ目が入ってしまっていた可能性は大いにある。 100%自分が原因でないと判ったからといって、兄のハチマキを駄目にしてしまった負い目が消えたわけではないが、これ以上次兄を困らせるのも嫌なので努力は必死で泣くのを堪えうなづいた。 「でも、兄さん大丈夫かな……? 大会前に必勝のハチマキが『やぶれる』なんて……」 一応涙は止まったものの、まだ震える声で努力は不安げにつぶやく。 「お前、結構げんをかつぐタイプなんだな。大丈夫だって、兄さんは父さんの『勝利』を受け継いだ人なんだ。絶対負けやしないって」 「うん」 友情の言葉で落ち着いたのか、先ほどより幾分明るい顔で、努力はコクンッと大きくうなづき、手の甲で涙をぬぐう。 「あ、なんだったら私が裁縫が得意な友達に頼んで直してやるよ」 いいことを思いついたといった顔でそう言うなり、友情は立ち上がりポケットから携帯電話を取り出して操作を始める。しかしその腕を掴み、努力は友情に電話をかけるのを止めさせた。 「待って友情兄さん」 「ん? なんだ努力」 友情は操作の手を止め、携帯を持った自分の腕につかまるようにしている弟の顔を見る。 「ハチマキを駄目にしたのはボクだし、ボクが努力して直すよ」 それを聞いた友情は携帯をしまい、「じゃ。頑張れよ」とだけ言い残し家の中に入っていった。 |
一人庭に残った努力は、さてこれからどうしようかと思案に暮れる。 ハチマキを繕おうにも洗濯したばかりのハチマキは完全に湿っている。まず乾かさなければいけないが、いくら今日が快晴とはいえ普通に乾したのでは結構な時間がかかるだろう。物が細い布なので1時間もあれば乾きそうにも思うが、その1時間を待つことすら今の努力にはもどかしかった。 (どうしたら早く乾くだろう?) 頭を捻り、一秒でも早く乾かす手段を思いつく限り並べてみる。 「えーっと……ハチマキを手に持ってブンブン振り回すとか、竿に乾したままうちわで思い切りあおぐとか……。うーん、あんまりいい案が浮かばないなぁ。冬だったら温風の出るストーブの前に置いておくんだけど。でも今は仕舞ってあるし、温風が出るものなんてどこにも……あ、ドライヤー!」 今ハチマキを乾かすのに丁度いいものの存在に気付き、努力はとりあえず竿にかけていたハチマキを掴むと一目散に家の中に駆け戻る。 「自分じゃ使わないからあるの忘れてた」 つぶやきながら洗面所の棚からドライヤーを取り出す。努力も友情も勝利も、家の住人である3兄弟達は頭髪がないため使わないのだが、友情マンが家に頭髪のある友人を泊まらせた時のためドライヤーはあったのだ。 ドライヤーのスイッチを入れて約5分後、ハチマキを乾かし終えた努力はハチマキと裁縫箱をリビングのテーブルに置いて繕い作業に取り掛かった。 同じくリビングにいる友情はソファーにもたれ掛かり、携帯電話で友人達へのメールをチェックしている。 二人とも無言のまま時は過ぎ、そうする内に友情は全てのメールをチェックし終えてその返信メール作成に移り、努力もハチマキの繕い作業を終了させた。 (よかった。思ったより早く終わった) ほう、と努力は息を吐く。今まで雑巾くらいしか縫ったことはなく、特に裁縫をしなれているわけではなかったので、ものすごく時間がかかるかもと思っていたが、実に早く縫い終える事ができた。ものがハチマキだけに縫う範囲も狭く、当たり前と言えば当たり前なのだが。 しかし、残念な事にその喜びは長くは続かなかった。出来栄えを確認しようと努力がハチマキを広げると、ほんの少しだが布がずれていたのだ。 せいぜい2ミリほどのずれだったが、ものがハチマキという細いものなだけに、その2ミリはかなり大きかった。おまけに縫い目もいびつでかなり目立つ。 「だ……だめだ。努力しなおさなきゃ」 一転して暗い顔になった努力は、糸切りバサミを手にとり縫い目をほどき始めた。 と、そのときである。 「なあ、努力」 返信メールを打ちながら友情マンが抑揚の無い声で話かけてきた。 「何? 友情兄さん」 努力は一旦作業の手を止め、友情の方に顔を向ける。話し掛けた方の友情は携帯の画面を見ており、メールを打つ手は止めないまま言った。 「ハチマキのことだけどさ。きれいに直せなかったからって、兄さんは特に怒ったりしないと思うぞ」 「うん、それは判ってるよ」 友情の言葉に努力は殆ど合間を置かず答えると、糸をほどく作業を再会させる。そして努力の返事から、ほんの少しだけ間を開けて友情は再び口を開いた。 「それにさ、そうやって努力してきれいに直せたからって、特に褒めたりお礼を言ったりとかもしないと思うぞ」 「うん、それも判ってるよ」 先程同様に努力は即答し、それを聞いた友情は初めて手を止めて努力の方を向く。 「判ってて努力してたんだ? そういう所見るとやっぱり父さんの『努力』を受け継いでるだけあるって思うなぁ」 そう言うと友情は再び携帯に視線をうつそうとする。が―― 「それはちょっと違うよ兄さん」 努力が何か言い出したのに気付き、メール打ち作業に戻るのをやめた。 「褒められたいとか、努力が大切とか、まして縁起が悪いとかそういうことじゃなくて……。あ、もちろん努力は大切だけど。でもそれは今回ちょっと横に置いといて。 何となく……自分でも良く判らないから何となくとしか言いようがないんだけど、兄さんのハチマキを破れっぱなしのままにしておくのが嫌なんだ。これ、よく見たら結構ボロボロだからもう捨て時かもしれないとも思うけど、例え捨てる物としても、捨てる前にちゃんと直しておきたいんだ」 作業の手は止めないまま、努力はポツポツと言葉を紡ぐ。 「…………」 友情はその言葉を聞く間中、ずっと努力に視線を固定していたが、努力が話し終わると何かを懐かしむような、少し遠い目で部屋の天井とも壁ともつかない空間を見つめる。 「ふぅ……。やっと終わった」 友情が黙っている間に努力は全ての糸をほどき終わり、テーブルの上に散乱していた糸屑を集めてゴミ箱に捨てる。そしてもう一度ハチマキを直す努力をするべく、針に糸を通し始めた。 「ちょっと待て努力」 ふいに友情が妙に明るい声で待ったをかける。 「ん? 何、友情兄さん」 「いいもの持ってきてやるから。それまでハチマキ直すの待っといて」 言うなり友情は自室に引っ込む。 「…………」 友情がいなくなった後、努力は友情の部屋のドアをじっと見ながら待っていた。その間中、友情の部屋からはガサゴソ何かを探る音が鳴り続け、時折「ないなぁ」とか「この辺だった気がするんだけど」という声が聞こえてくる。そして、十数分ほどたってようやくリビングに友情は戻ってきた。 「悪い悪い。待たせたな努力」 「何探してたの兄さん?」 「ああ、これさ」 言って友情は数枚のプリントを努力に差し出した。 そのプリント。かなり古いものらしく黄色く変色している、を努力はペラペラとめくり目を通す。そして一通り目を通した後、努力は目を輝かし友情を見た。 「ありがとう兄さん!」 それは手縫いによる繕い物のコツが実に判りやすく、図解つきで説明してあるプリントだったのだ。 「ねえ、友情兄さん」 プリントを熟読してから再びハチマキをつくろい始めた努力が友情に話し掛ける。 「何でこんなプリント持ってたの?」 「ああ、それは……」 努力の問いに友情はやや口ごもり、視線を一度斜め下に落としてから照れくさそうに口を開く。 「それは、お前と同じだよ。私も以前兄さんのハチマキをうっかり破いちゃってさ。それで友達に繕い物の方法を教えて貰ったんだよ」 もう300年以上前になる。雑巾作りやボタン付けなど、簡単な裁縫の経験があった努力と違い、友情は家庭科の宿題でもなんでも全て友達任せで一切裁縫の経験が無かった。ハチマキをなんとか見れる形まで直せるまで、友情も友情を指導してくれた友人もそれはてこずったものだ。あのプリントは友人がハチマキを直した後日、また同じようなことがあった時のために渡してくれた物である。 「へぇ、そうだったんだ」 感心したように言いながら、努力は古びたプリントを手にとって眺める。 「それって、いつ頃の時だったの?」 友情の方を見て訊ねると、訊ねられた友情はソファーにもたれたまま天井を仰ぎ見て答える。 「そうだな……父さんがいなくなる前だから、お前が生まれて間もない頃だな」 「ボクが赤ちゃんだった頃の勝利兄さんって、ハチマキをきれいに直さないと怒るような人だったの?」 「いや、別に怒らなかったと思うよ」 「だったら、きれいに直せたら褒めたりお礼を言ったりしてくれるような人だった?」 「いや、別にそうこともしない人だったと思うよ」 「じゃあ、何で友情兄さんはわざわざ自分で直したの? 何で教えてくれた友達に直接直して貰わなかったの?」 その問いに友情はソファに持たせかけていた身体を起こし、真っ直ぐに努力の顔を見て答える。 「それは……なんとなく自分で直したいって思ったからだよ。まあ、友達の助けを借りたことに変わりは無いけど。全部を友達任せにするのは嫌だったんだ。なんでって聞かれても、なんとなくとしか答えられないな」 「ボクと同じだね友情兄さん」 「そうだな。同じだな努力」 そう言うと、二人は顔を見合わせて笑う。 程なくして努力はハチマキを繕い終える。仕上げにアイロンをかけて広げて確認すると、一度目とは比べ物にならないくらいきれいに仕上がっていた。縫い目も殆ど目立っておらず、パッと見たくらいでは判らないだろう。 「できた!」 今度こそ修復作業は終了したと、努力は満面の笑みを浮かべる。丁度その時玄関の扉が開く。長兄の勝利が帰ってきたのだ。 「あ、勝利兄さん!」 「よお、努力。勝ってきたぜ!」 背中から大量の札束を取り出しながら、勝利はリビングに入ってくる。 「おかえり、兄さん」 「お前も戻ってきてたか」 勝利は二人の弟と挨拶をすませるとテーブルに札束の山を置き、ドカッとソファーに腰を下ろす。そしてテーブルの上にある裁縫道具に気付くと、目だけ動かして努力を見た。 「何か縫ってたのか?」 「勝利兄さん、ごめんなさい。ボク、今日洗濯中に兄さんのハチマキ破いちゃって……」 謝りながら努力は繕ったハチマキを勝利に渡す。 「ああ、それでか」 勝利は努力からハチマキを受け取ると、そのまま無造作に背中の中にしまい、今度は裁縫箱の横に置かれたプリントに目をとめた。 「ん?」 「ごめん兄さん。すぐ片付けるね。ほら、お前も早く裁縫道具しまって」 気付いた友情は慌ててプリントを掴み取り、努力はその次兄の様子に疑問に感じつつ、外に出ている糸や針を裁縫箱に直し始める。 「今日も大勝ちしてきましたね兄さん」 「だろー? 明後日大会だし、景気づけに飯でも食いに行くか!」 「いいねぇ兄さん。そうしよう。 じゃ、今から飛田くんに電話するから、兄さんは先に外に出てて。 あ、もしもし飛田く〜ん」 友情は電話を操作しながら、そう勝利に促す。 「判った。お前らもすぐ来いよ」 と言って勝利は立ち上がり玄関に向かう。 「じゃ、友情兄さんボクも行くね」 「努力」 勝利が出て行ってから少ししてから、裁縫箱を仕舞い終えたらしい努力が玄関に向かおうとすると、友情にその腕を掴まれ呼び止められた。 「何、兄さん?」 立ち止まった努力に友情は少しかがんで顔を寄せ、囁くような声で言った。 「さっきのハチマキの話。何か照れくさくて、兄さんには友達に直して貰ったって言ってあるんだ。だから私がやったってことは兄さんに言うなよ。あのプリントのことを聞かれても適当にごまかしといてくれ」 「うん、判ったよ友情兄さん」 努力もできるだけ小さな声で返事をする。 そしてふと気付いた質問を投げかけた。 「それはそうとさ、友情兄さんは何をしててハチマキを破いちゃったの?」 「へっ!?」 その質問に友情は目を真ん丸くし、まさに「鳩が豆鉄砲を食らった顔」の見本のような表情を形作る。 「それは……ちょっと覚えてないなぁ」 微妙に裏返り気味の声で言いながら友情は身体を伸ばし、明後日の方向を向く。 たとえこればっかりは自分の同志と言える末弟にも言えはしない。裁縫を教えてくれた友人にも何度も聞かれたが答えなかった。 そう、誰にも言えはしない。兄のハチマキを自分でつけて『勝利兄さんごっこ』をしていた最中に破れてしまったなど。 「おい、友情、努力! 飛田くんがきたぞ」 と、その時。玄関の外から勝利の声が響く。 「あ、ほら努力。兄さんが呼んでるぞ。早く行かなきゃ」 「え? あ、うん!」 まだ釈然としない努力だったが、それ以上追求するのは止めて、プリントを直すため自室に入った友情をリビングで待つ。 「じゃ、いこうか努力」 二人が玄関に向かおうとすると、2度目の催促の声が聞こえた。 「何やってんだ! 置いてくぞ!」 もう玄関の外にいるはずなのに、うるさいほどその声は部屋に響き渡る。 「ごめん。すぐ行くよ兄さん!」 「ああ、はいはい。今行きますって! 全く…せっかちなんだから」 二人の弟はそう答え、長兄の元へ駆けて行った。 −END− |